浪江焼麺太国

テスト

浪江焼麺太国とは

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合言葉は「ソっ~すね!(*゚▽゚)ノ」
2008年11月に浪江町商工会青年部が中心となって『浪江焼麺太国[なみえやきそばたいこく]』という『なみえ焼そば』を媒体にする町おこし団体を設立。ナポレオンを意識していて、頭の上にやきそばが乗っている特徴的なファッションのやきそば太王を中心に部下の愉快な仲間達「レギュラー麺バー[メンバー]という」と広報活動を開始する。
2009年4月に愛Bリーグ(B級ご当地グルメでまちおこし団体連絡協議会)北海道東北支部に加盟する。
2009年11月に地元女子高校生がプロデュースしたNYTS(ナイツ[なみえやきそばたいこくシャイン])というアイドルユニットが『恋する焼きそば』を歌い、キャンペーンソングとして、地元の浪江となみえ焼きそばをPRし始める。
2010年4月に愛Bリーグ(B級ご当地グルメでまちおこし団体連絡協議会)正会員に昇格。
2010年9月第5回B-1グランプリ厚木大会への参加を果たし、厚木大会では中間発表で12位の好位置につけるが、惜しくも10位までのランクインを逃す。
2010年11月浪江町で東北4大やきそばサミットinなみえを開催し、人口約2万1000人の町に2日間で約3万人を集客し、これから町全体で盛り上げていこうとした矢先…。
2011年3月11日東日本大震災、翌12日原発事故。
浪江町の人口約2万1000人は古里を負われ、全国にバラバラに避難。浪江焼麺太国もバラバラになったが、2011年4月浪江町民の避難する福島県二本松市にて炊き出しを開始する。
2011年5月、11月に開催される第6回B-1グランプリin姫路に出展を決意し、古里に帰還できない復興もできない状態だが、浪江町民の絆を繋ぐ為に「心の復興」をテーマに各麺バーが全国避難先より集まり、全国出展を展開する。
2011年7月HFA(八王子)、WSJP(早稲田大学)の支援(サポート麺バー)により、全国出展に拍車をかける。
2011年11月第6回B-1グランプリin姫路に出展、4位入賞。全国に名を轟かし、全国に避難する浪江町民に勇気を与えることができた。
その後、進展しない東京電力の賠償や国の支援。麺バーは自分や家族の生活の為の「自分おこし」を開始したが、東日本大震災・原発事故で苦しむ現実を風化させてはならないと決意し、出展だけでなく、震災後からの浪江町の写真や子供達のアンケートの展示、浪江町民の現状や防災意識を高めるシンポジウム講師の派遣などを重ねながら全国出展を続ける。
2012年8月活動が厳しいなか10月に開催される第7回B-1グランプリin北九州に出展を決意する。
2012年10月第7回B-1グランプリin北九州に昨年と現状が変わらないなか、「オール浪江」をテーマに、古里浪江のボランティア(役場、飲食店、一般人)(サポート麺バー)が集結し、失ってはならない古里の文化(伝統工芸品「大堀相馬焼」の陶芸、火防祈祷「裸参り」)を実演しながら出展し、4位入賞。
現在も古里の為、浪江町民の絆を繋ぐ為、原発事故を風化させない為、復興のシンボルとして活動しています。
多くの新たな仲間と強い絆でLet‘s try again!

浪江焼麺太国年表
2008年11月 浪江焼麺太国設立

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2009年4月 愛Bリーグ(B級ご当地グルメでまちおこし団体連絡協議会)
       北海道東北支部に加盟
2009年9月 第4回B-1グランプリin横手 エキシビジョン出展

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2010年4月 愛Bリーグ(B級ご当地グルメでまちおこし団体連絡協議会)
       正会員に昇格
2010年9月 第5回B-1グランプリin厚木 第10位以下(中間発表12位)

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2010年11月 東北四大やきそばサミットinなみえ開催

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2011年3月 東日本大震災・原発事故

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2011年4月 活動再開

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2011年11月 第6回B-1グランプリin姫路 第4位

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2012年1月 平成23年度地域づくり総務大臣表彰 団体賞

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2012年3月 共同通信社第2回地域再生大賞 特別賞
2012年10月 第7回B-1グランプリin北九州 第4位

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2013年9月 北海道・東北B-1グランプリin十和田 ゴールドグランプリ

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2013年11月 第8回B-1グランプリin豊川 ゴールドグランプリ

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